鶏口となるも牛後となるなかれ

こんにちは。オモテです。今月の25日をもって、20歳も3年目に突入しました。お祝いしてくれた皆様、ありがとうございました。

 

ものすんごい唐突なんですけど、いい歳こいて「こんにちは」を「こんにちわ」と書く人種に嫌悪感を覚える側の人間です。本人がいいならそれでいいけどね。内心(だめだこりゃ)って思っています。人間ってのは、エゴの塊ですね。

 

冒頭から話がそれにそれまくっていますが、こんにちわ人間のことは脇に置いておいてください。本日お話したいことは、座右の銘についてです。

 

皆さんは、座右の銘ってありますか?

座右の銘って名前が既にかっこいいですよね。

座右の銘があるともっとかっこいいですよね。

 

そんな、座右の銘。私にはあります。というか、正確には段々コレ座右の銘じゃね?って思えてきたものが出てきました。

それが、タイトルにもある通り、『鶏口となるも牛後となるなかれ』です。

 

この言葉を知ったのは、今は昔高校2年生の頃の漢文の授業です。当時、漢文の参考書を机の上に置いて授業を受けていた私は、何気なくパラパラと漢文の参考書をめくっていました。

漢文は、古文のようにまわりくどい言い方をせず、潔い登場人物が多い印象だったので、少し関心があったのだと思います。

 

そこで偶然見つけた言葉が、『鶏口となるも牛後となるなかれ』でした。最初はなんのこっちゃ?って思いました。だって、「鶏の口はいいけど牛のお尻にはなったらアカンよ」っていきなり言われても…って感じしませんか?

 

しかし、漢文の参考書はちゃんと意味も書いてくれています。良心的ですね。

その意味とは、「大きな集団(牛)の中でビリ(お尻)となるよりも、小さな集団(鶏)の中で一番(口)となる方が良い」というものでした。

 

なんですか、この座右の銘感。出てますよね、座右の銘感。

 

単なる慰め、と捉えられる方ももちろんいらっしゃると思います。大きな集団の中でてっぺんとらないと意味ないとおっしゃる方もいらっしゃると思います。

 

しかし、私の生き方には、これが当てはまっているんじゃないかな、と思うようになりました。いわゆる、悟りに近いものがあります。

 

だからどうこう、と言った話ではないのですが、23歳、あ、20歳と3年目に突入した今、これを座右の銘に見据えていこうかな、という想いがあります。

 

就職活動ってすごいですね。一人の人間の座右の銘まで決めさせてしまうとは。いやはや、恐れ入りました。

 

最後に、私が就職活動中鬼リピしている絢香の「夢を味方に」の冒頭部分で締めたいと思います。

 

泣いて 笑って 悩んで そんな日々が全部全部未来へ

 

それでは、また。

 

 

p.s.今夜の世にも奇妙な物語絶対観ような