ネタがないことをネタにするの巻

お久しぶりでござんす、オモテです。覚えてますか?私はこのブログの存在忘れかけていました。半分本当です。

 

長々と更新できなかったのにはワケがあるんです。お気づきの方もいらっしゃるでしょう。

 

「ネタがない」

 

こうなるともう無理ですね。無理です。だってネタがないんだもの。

 

考えてもみてください。0→1を生み出すこと、できますか?そりゃね、1→100を生み出すことは誰にでもできるんです。だって、そこにあるんだもん。1が。その1を色々こねくり回してみたり、遠くから眺めたり、近くで舐め回したり、引っ張ったり、潰したり、色々やりようはあるんです。だって、そこに、1があるから。

 

 

じゃあ、0はどうでしょうか?

私は数学の専門家でもなんでも無いので、0の定義なんて分かりません。ただ、虫ケラ文系なりに考えることはできます。

そう、「0=何も無い」ということを。

 

何も無いところから1を生み出すって、ものすんごい矛盾していると思いませんか?

だって、何も無いんだよ?言うなれば、真空パックで閉じ込められた感じ。いや、空気さえも存在していないかもしれない。もう本当に、無。何も無いってことを考える思考さえ無いと思って頂いて構いません。

 

ここまできたら、もう話は早いです。

そこから、どうやって1出るよ?って話じゃないですか。

 

もしかしたら、こう考える人もいるかもしれません。「1っていうのは積み重ね。0から0.1ずつ積み重ねていけばいずれ1になるでしょ。」

 

私はそうおっしゃる方々に言いたい。

「甘いな」と。「0の怖さまだ知らんのやな」と。

 

いいですか。0というのは無なのです。これがどういうことを意味しているか。

そう、0というのは、0.0000000000000000001さえも存在していないのよ、ってことなのです。0.1→1にしていけばいいというのは、1→100理論と大差ありません。ケタが違うだけです。しかし、0→1が無理なように、0→0.1も無理なのです。だって、0は存在していないんだから。

 

これでもうお分かりでしょう。

「あ、この人ネタ切れなんだ」って。

そして、更にこうも思うはずです。

 

「ネタが無いことネタにしやがったな」って。

 

 

0→1生まれちゃいましたね。今夜は第2のビッグバン記念日です。

 

 

ここで一句。

『誰だって  心の中に  小宇宙』

 

 

 

はい、この記事に関しては、「逃げるが勝ち」だと思われるので早急に立ち去ることにします。今度こそネタをわんさか小脇に抱えてきますね。ワキワキワッキー(ばいばい)