褒めること、喜ぶこと。

こんばんは、オモ川クリステルです。なんでもないです。

今日は「褒めること、喜ぶこと」をテーマに書いてみようと思います。

 

最近、『レッツ☆卒論5000字』というゼミの課題のフィードバックが返ってきました。フィードバックというのは、ゼミの先生がゼミ生の卒論5000字を読み、全員に対してコメントをするというものです。先生の方針によって、そのコメントは自分一人あてのコメントだけではなく、ゼミ生全員分あてのコメントが読めるようになっていました。

 

一度全てのコメントを読んで、再度自分あてのコメントを読んで思ったこと。

「私、褒められてる!!!!!!!!」です。

いやね、他の人も褒められてるんですよ。そして、私も褒められてるだけじゃなくて、課題ももちろんあって、というか課題の方が多いんですけどね。

でもね、やはり褒められてると嬉しいもんですね。

 

これが、適当に終わらせたレポートだったら、(チョロいなー)くらいにしか思わなかったかもしれない。まあ、先生に限って、そんなお粗末なモン褒めないとは思うけど。

 

しかし、レポートと卒論は訳が違いますね。ご存知の通り、レポートはある程度テーマが与えられております。一方で、卒論は自分でテーマを見つけないといけません。そこが卒論の面白いところであり、難しいところだと私は思います。卒論に関してまだペーペーだけど、それくらいは分かる。

 

学術論文なんて初めて執筆することになるので、【暗中模索】を地で行くようなもんでしたからね。テーマ選びなんて、自分がやりたいと思ったことの手がかりを見つけるまでに何ヶ月も要しました。テーマが決まってからも、本探しから始まって、選んだ本と格闘して(ハーヴェイに苦戦を強いられる)、唯一の救いは卒論中間発表でテーマを発表した時に面白そうってみんなが言ってくれたことですかね。

 

と、いうように、たった5000字されど5000字。5000字書くまでに自分なりにもがきにもがいていました。今まで書いてきたどのレポートなんかよりも、時間をかけて頭を使った5000字でした。

 

その5000字を褒めて頂いて、なんというか「嬉しい」気持ちと「まだやったるぞ」という気持ちが湧き湧きワッキーでした。(伝われ)

 

そこでね、思ったんです。最近、褒められて無かったなって。いやね、お世辞とか社交辞令ではそりゃ確かにありましたよ。

ただ、自分が本当に「これ出来上がったので見て下さい!!!自信なら少しだけあります!!!」レベルのものを褒められることって無かったなぁって。

 

そう考えると、小さい頃って褒められまくりでしたよね。1単語話すだけで歓声、歩き出すだけで歓声、自分一人でモノ食べられるようになっただけで歓声ですからね。

今、これら3つを同時にしたところで、「落ち着いて食べなさい。」と言われるのが関の山です。

 

うーん、そうか。なかなか褒められない世の中だということは分かった。でも、褒められる回数は少なくても、褒められる質は小さい頃より今の方が格段に上がってるのではないだろうか。

 

そう。小さい頃に褒められたのは、いわば「ヒトレベルに着実に近づいてるね、良かったね。」ということを褒められているんだよね。

でも、今は違う。今は、「お、人間感でてきたやん」ということを褒められている。気がする。

 

ヒトと人間。同じように見えて、違うような気がするのは私だけだろうか。

ヒトというのは、シマウマとかゴリラとかと一緒で、動物の種類。人間というのは、そういった動物の種類の中で収まる概念ではなくて、理性的であり哲学的であり論理的であり学際的であり…というような感じ。

 

まあ何を言いたいのかというと、上記のように褒められる質が小さい頃と今では断然に違うということ。そりゃ、必然的に回数は減りますわな。だって、そんなに人間感たくさん出てきたら、受け止める方も大変だもの。

 

次に考えないといけないことは、褒められた後の反応ね。これがまた厄介です。歳を重ねるに連れて、私たちはたとえ褒められても深読みし始めます。(どうせみんなにも同じこと言ってるんだ)(利用するために褒めてるだけなんでしょ、知ってる)(むしろ褒めないでくれ)などなど。

 

ただね、私は思うんですよ。褒めることが大事なら喜ぶこともまた大事なんじゃないか、って。確かに、世間では社交辞令もあります。褒めちぎって褒めちぎって利用しようとする輩もいます。でも、見知った相手から、「自分がやったぞ!!!」というものを褒めてもらえるなら、もうそれは素直に喜んでいいのではないかな、と。

 

その喜びが、後々の原動力にも繋がったりすると思うのでね。私なんて今、卒論への原動力ハンパないからね。就活に意識いきがちだったけど、卒論もしっかり向き合わないとな、ということを褒められて再確認しました。あー単純でよかった。単細胞万歳。

 

ただ、褒めてくれる相手は必ずその道のエキスパートでないとダメだとも思っています。褒められることと馴れ合いは違いますからね。

馴れ合ったり、卑屈になったりすることなく、褒められたら素直に喜ぶ。そして、褒められた自分を越えられるように、向上心を持つ。

 

それができれば、より更に人間感増し増しになると思いますね。

 

 

よーし、人間感出していくぞ〜

 

早く人間になりたァい。