私って、○○な人だから問題

最近よく、「私って○○な人だから〜」や「私たちは◇◇なんだよね」という言葉を耳にしませんか。(唐突に始まります)

たとえば、その筆頭に「私はサバサバ系女子だから〜」という言葉。あるあるですね。

 

でも私は一言言いたい。

 

「そんなこと知ったこっちゃねえんだよ。」と。

 

考えてみて欲しい。

自分で自分をカテゴライズするという言動は、「自分はこういう人間なんで、まあ大目にみてくださいよ、何かやらかしたとしても私だから仕方ないでしょ。」という免責に過ぎないのではないだろうか。

 

確かに、やれ個性だの自分らしさだのを求められている時代に、こういうカテゴライズは相手に「この人ってこういう人なんだ」という先入観を与えることもできる。きたる就職活動の面接でも自己PRは必ずといってもいい程、問われると思う。

 

ただ、就職活動の自己PRと、私って○○な人だから問題の間には、自分自身を上限におくのか下限におくのかという致命的な違いが存在する。

 

就職活動の自己PRは、就職活動ビギナーofビギナーの私でも分かる通り、「自分をよく見せる」ことを目的としている。「かめばかむほど味が出るスルメのような人間です」という某大手食品会社のCMは記憶に新しい。(スルメもまさか就活生に自分みたいって言われるとは思わなかっただろうな)

 

自己PRの場で、「私は人から助言されてもそれがうっとおしいと感じる人間です」とは口が避けても言わないというのは赤子の手をひねるより簡単に分かることだ。

 

では、私って○○な人だから問題はちがう。「私ってサバサバした人間だから」という自分のカテゴライズは、「多少暴言やら毒舌やら吐くと思うけど許してちょんまげ」のようなニュアンスが少なくとも含まれてるのではないだろうか。

 

「私はサバサバしている人間」という言葉をまるで、免罪符のようにして、他人に暴言やら毒舌やらを吐くのだ。逆に考えれば、「自分は他人のこと配慮できないんだわすまんな」ということ、つまり自分を自分から下限に設定して、許しを請うという行為に他ならないのではないだろうか。

 

誤解しないで頂きたいのは、自分を下限に設定して許しを請う行為と謙虚さは全く別物である。むしろ、対極に位置するものではないかとさえ思う。

 

謙虚さというのは、自分を下限に設定するところまでは一緒だが、じゃあそれを少しでも上限に持っていくにはどうすればいいか考えることだと思う。自分を下限に設定した後のプロセスが、前者と後者では全く異なるということを強調しておきたい。

 

「まあ、この人だから大目に見てやろう」というのは、自分から発信するものではなく、相手に認定されるものである。そこに至るまでには、その相手との信頼関係やその人特有の性格や愛嬌など様々な要因がある。そのいくつかの要因を満たせて初めて、「こいつだから仕方ないか」と思ってもらえるのだ。

 

スーパーのお惣菜の一つ一つによだれを垂らしている子供の親が、「子供のやったことですから」と言ったところで、何にも事態は解決しないのだ。その親子に待ってるのは、せいぜい世間からの冷たい目と弁償と入店拒否くらいだろう。

 

散々毒づかれ、傲慢な態度を取った挙句「私ってサバサバした人間だから」と言われたところで、こちらとしては(そんなもん知らんがな)くらいにしか思わない。こうして人はその人から離れていく。これはサバサバ系女子に限らず、自分を下限して許しを請う言動全てにあてはまると思う。

 

かくいう私も、人のふり見て我がふり直せとはよく言ったもので、自分がそうならないように気をつけなければならない。

 

 

だって私は、自分一人では気づけない人だから。

 

 

おあとがよろしいようで。