ご報告

こんばんは、オモテです。

いよいよ6月ですね。お恥ずかしながら、5月は1回しか更新していませんでしたね。

月に2回更新するならまだしも(それも頻度少ないけど)、月1って存在忘れられてもおかしくないレベルですよね。

 

それでも見てくださってる方がいるって嬉しいことです。いつもありがとうございます。

 

さて、ご報告の件です。

まあ、今のこの時期にご報告と言われて、察しがつく方もおられると思いますが。

 

ええ、わたくし、就職活動を

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

絶賛続行中でございます。

 

びっくりした??びっくりした?????

 

いやだってさ、今までアクセス数0とか多くて5とかの日が多いのに、6月1日にドギャアアアンと高くなってたからさ。

そういう意味も含めてのアクセス数ドギャアアアンなのかと…あ、違ったらごめんなさいね。

 

6月1日になって就職活動を終えられてる方も少なくないようですが、私はまだまだ続けるつもりです。志望業界がそもそも遅めの選考行う業界なので仕方ないと言えば仕方ないのですが。

 

そういえば、この前ある程度選考が進んでる企業に今までの私をフィードバックして頂いたんですけど、すんごいおもしろかったのでご紹介します。

 

まず、私の第一印象は言動含めてしっかりしている・落ち着いている印象らしいです。まあその辺はよく言われるし(そして後に化けの皮が剥がれる)、そう思ってもらえるように振舞ってきたので、よしよし作戦通りだと思っていました。

 

しかし、続けて担当の方はこうおっしゃいました。「表さんみたいなタイプって上司によって2極化するよね」と。詳しくはこうです。私にとってとても良い(相性などもろもろ含めて)上司だったら、すごい伸びる。でもそうじゃない上司だったら、最悪の場合仕事やめてると思う。

 

ここで私は初めて手相を見てもらった人ばりにこう言いました。「え、あたってる・・・」

 

振り返ってみると、思い当たる節がいくつもいくつもあります。

特に、今まで出会ってきた担任の先生は特にそうです。合ってないから学校やめたとかそういうことは一切ありませんが、少なくとも勉強にやる気を見出せず、成績も低空飛行を続けていました。

 

しかし、この先生に着いていきます!!!ってなったらそらもう一直線でした。成績も、トップとは言いませんが、それなりの成績だったと思います。現に、今の大学の成績を見返しても、この先生の授業好きだ!!!という授業はS、この先生あかんわ合わんわという授業はCが多いです。

 

ここで私が言いたいのは、別に成績自慢でもなんでもなく、見てくれているところは見てくれているんだなぁ、ということです。

 

面接なんて、集団で1時間個人で40分もやっていれば長めの方だと思います。しかし、その時間、私たち就活生は少しでもよく見られようと何枚も何枚も化けの皮を被っていると思います。

 

そんなことない、私はありのままで勝負しているという方もいると思いますが、じゃあ実際家モードで面接臨んでるのか?と問われると素直に首を縦に振ることができないと思います。

 

そんな中で、その人の本質の性格を見極めることって骨が折れる作業だと思います。

 

仕事だから当たり前、なのかもしれません。

ただ、私の様な凡人就活生から見たら、そんな難しいことを当たり前にこなしてることがただただ凄いなぁと。

 

自分も社会人として働くようになった時に、学生の立場から見て凄いなぁと思われるような存在になりたいですね。別に採用活動じゃなくていいんだけど。あ、でも5年目くらいに採用活動に携わりたいとは思ってるけどね。

 

まあ、そんなこと言ってる暇あったら、早く就活終わらせろよって思われるかもしれないけどね。いいんです、いつ終わろうが入社式は4月1日だ。

 

まだまだこれから。

 

そして余談なんですけど、そのフィードバックで「表さんは小手先の就活テクニックでカバーしてる節あるよね」って言われたんだけどさ、

そんなもんあったら是非教えて頂きたいわ土下座でもなんでもするから、って思いました。はい。

 

 

なんだか最近就活の話ばっかりですみません。

でも今しか書けないことなので、これからも遠慮せずに書きます、すみません。

 

それでは。

 

 

 

一流は、環境を創る

久方ぶりです、オモテです。

今日はちょっとモヤモヤしたことがあったので、吐き出させてもらいます。

そんなもん見たくねーよというそこのあなたは急いで閉じましょう。

 

今日はとある企業の会社説明会に行って参りました。会社概要、社員の方々のお話、と進み最後の質問タイムになりました。まあ、みんな仕事のやりがいとか入社前と入社後のギャップとか、オーソドックスなこと聞くわけですよ。

 

そんな感じで順調に進んでいくと思われた質問タイムに、爆弾が投下されました。

ある女子就活生の質問です。以下、彼女の質問事項です。

 

 

「貴重なお話ありがとうございました、○○大学の△△と申します。女性社員の方にお聞きしたいのですが、御社は女性が働きやすい職場ですか?」

 

WHAAAAAAAAAAAAAAAAAAAT!?!?!?!?!?!?

 

あの、落ち着いて考えて欲しいんですけど、

もしその様な質問がなされた場合、

「いやー、女性はちょっと厳しいっすわ。正直足手まといだと思ってますw」

なんて答える企業あると思いますか??

今の時代に、その質問に対して馬鹿正直にNOと答える企業あると思いますか???

 

無いんですよ。いや、私も日本全国にある全ての企業の説明会に参加した訳ではありませんので、100%そうかとも言い切れないけど。

99 .9%は「女性も働きやすい職場です!」って答えると思います。だってそうでもしないと、社会的な立ち位置失ってしまうから。

 

そんなね、ほぼほぼ決まりきった答えが出るであろう質問をして、何か得るものがあるのでしょうか。

 

あと、私は仕事がしやすい環境は自分で創るもんだと思ってます。これは男性女性限らず、というか職場でなくてもそう。私たちはこれまで何度も社会的なコミュニティに身を置き、その集団・組織の中でどの様に振る舞えば良いか学習してきたはずです。

幼稚園・保育所から小学校、小学校から中学校、中学校から高校、高校から大学、と勝手が違くて最初は戸惑ったこともあったけど、何度も試行錯誤しながら環境を整えていったはずです。自分の居心地がいいように。

 

それは、大学から会社に入る際も同じなのではないでしょうか。

大学と会社、勝手が違くて当然です。ただ、一つ言えるのは、待ちの姿勢はこれまで以上に通用しないということ。自分で環境を整えていく他ないんです。

これは、どの業種・職種でも同じでしょう。

 

希望の企業に入ったって入らなくたって、新入社員がまず最初にやることは、環境づくりだと思います。

 

そうでなくてはならないはず、というか当然のことであるはずなのに、なんでそうも待ちの姿勢なのか、逆質問かましたいくらいです。

 

そもそも、「女性が働きやすい職場」ってなんなのかって話です。育休・産休のことを聞きたいならダイレクトに聞けばいいし、わざわざ濁す意味がよく分かりません。

 

失敗してもえへってすれば怒られない職場??重たいものを運んでフラフラしていたらすかさず男性社員が3,4人寄ってくる職場??

そんなもんが自分の目指す職場なの???

 

男女平等、男女平等と叫ばれている現代ですが、実際のところどうなんでしょうかね。

 

もし、男女平等という概念がきちんと存在しているような世界なら、「女性が」働きやすい職場かどうかなんて質問、出るはずがないと思うんですけど、どうでしょうか。

 

私は、この質問を聴いてある言葉を思い出しました。

「一流は環境を創る、二流は環境を楽しむ、三流は環境を嘆く」

 

 

ことこの問題に関しては、一流でありたいですね。

 

 

無駄にまくしたてて失礼致しました。

モヤモヤが少し晴れた気がします。

でもまだ足りないので、今度誰か捕まえて話してしまうかもしれませんが、嫌なら逃げてください。

 

それでは、

 

鶏口となるも牛後となるなかれ

こんにちは。オモテです。今月の25日をもって、20歳も3年目に突入しました。お祝いしてくれた皆様、ありがとうございました。

 

ものすんごい唐突なんですけど、いい歳こいて「こんにちは」を「こんにちわ」と書く人種に嫌悪感を覚える側の人間です。本人がいいならそれでいいけどね。内心(だめだこりゃ)って思っています。人間ってのは、エゴの塊ですね。

 

冒頭から話がそれにそれまくっていますが、こんにちわ人間のことは脇に置いておいてください。本日お話したいことは、座右の銘についてです。

 

皆さんは、座右の銘ってありますか?

座右の銘って名前が既にかっこいいですよね。

座右の銘があるともっとかっこいいですよね。

 

そんな、座右の銘。私にはあります。というか、正確には段々コレ座右の銘じゃね?って思えてきたものが出てきました。

それが、タイトルにもある通り、『鶏口となるも牛後となるなかれ』です。

 

この言葉を知ったのは、今は昔高校2年生の頃の漢文の授業です。当時、漢文の参考書を机の上に置いて授業を受けていた私は、何気なくパラパラと漢文の参考書をめくっていました。

漢文は、古文のようにまわりくどい言い方をせず、潔い登場人物が多い印象だったので、少し関心があったのだと思います。

 

そこで偶然見つけた言葉が、『鶏口となるも牛後となるなかれ』でした。最初はなんのこっちゃ?って思いました。だって、「鶏の口はいいけど牛のお尻にはなったらアカンよ」っていきなり言われても…って感じしませんか?

 

しかし、漢文の参考書はちゃんと意味も書いてくれています。良心的ですね。

その意味とは、「大きな集団(牛)の中でビリ(お尻)となるよりも、小さな集団(鶏)の中で一番(口)となる方が良い」というものでした。

 

なんですか、この座右の銘感。出てますよね、座右の銘感。

 

単なる慰め、と捉えられる方ももちろんいらっしゃると思います。大きな集団の中でてっぺんとらないと意味ないとおっしゃる方もいらっしゃると思います。

 

しかし、私の生き方には、これが当てはまっているんじゃないかな、と思うようになりました。いわゆる、悟りに近いものがあります。

 

だからどうこう、と言った話ではないのですが、23歳、あ、20歳と3年目に突入した今、これを座右の銘に見据えていこうかな、という想いがあります。

 

就職活動ってすごいですね。一人の人間の座右の銘まで決めさせてしまうとは。いやはや、恐れ入りました。

 

最後に、私が就職活動中鬼リピしている絢香の「夢を味方に」の冒頭部分で締めたいと思います。

 

泣いて 笑って 悩んで そんな日々が全部全部未来へ

 

それでは、また。

 

 

p.s.今夜の世にも奇妙な物語絶対観ような

 

ネタがないことをネタにするの巻

お久しぶりでござんす、オモテです。覚えてますか?私はこのブログの存在忘れかけていました。半分本当です。

 

長々と更新できなかったのにはワケがあるんです。お気づきの方もいらっしゃるでしょう。

 

「ネタがない」

 

こうなるともう無理ですね。無理です。だってネタがないんだもの。

 

考えてもみてください。0→1を生み出すこと、できますか?そりゃね、1→100を生み出すことは誰にでもできるんです。だって、そこにあるんだもん。1が。その1を色々こねくり回してみたり、遠くから眺めたり、近くで舐め回したり、引っ張ったり、潰したり、色々やりようはあるんです。だって、そこに、1があるから。

 

 

じゃあ、0はどうでしょうか?

私は数学の専門家でもなんでも無いので、0の定義なんて分かりません。ただ、虫ケラ文系なりに考えることはできます。

そう、「0=何も無い」ということを。

 

何も無いところから1を生み出すって、ものすんごい矛盾していると思いませんか?

だって、何も無いんだよ?言うなれば、真空パックで閉じ込められた感じ。いや、空気さえも存在していないかもしれない。もう本当に、無。何も無いってことを考える思考さえ無いと思って頂いて構いません。

 

ここまできたら、もう話は早いです。

そこから、どうやって1出るよ?って話じゃないですか。

 

もしかしたら、こう考える人もいるかもしれません。「1っていうのは積み重ね。0から0.1ずつ積み重ねていけばいずれ1になるでしょ。」

 

私はそうおっしゃる方々に言いたい。

「甘いな」と。「0の怖さまだ知らんのやな」と。

 

いいですか。0というのは無なのです。これがどういうことを意味しているか。

そう、0というのは、0.0000000000000000001さえも存在していないのよ、ってことなのです。0.1→1にしていけばいいというのは、1→100理論と大差ありません。ケタが違うだけです。しかし、0→1が無理なように、0→0.1も無理なのです。だって、0は存在していないんだから。

 

これでもうお分かりでしょう。

「あ、この人ネタ切れなんだ」って。

そして、更にこうも思うはずです。

 

「ネタが無いことネタにしやがったな」って。

 

 

0→1生まれちゃいましたね。今夜は第2のビッグバン記念日です。

 

 

ここで一句。

『誰だって  心の中に  小宇宙』

 

 

 

はい、この記事に関しては、「逃げるが勝ち」だと思われるので早急に立ち去ることにします。今度こそネタをわんさか小脇に抱えてきますね。ワキワキワッキー(ばいばい)

逃げるが、負け。

こんにちは、絶賛流れる季節の真ん中におりますオモテです。

就活が解禁(企業側が採用の広報を本格化すること)(つまり水面下では始まっているところも多いということ)(19卒は気をつけよう)(何者)して、もうすぐ1ヶ月。怒涛だった。まあ、就活だけじゃなくて追いコン準備とかもやってたし、新学期活動も少しだけど参加させてもらったからね。それらの活動も超絶怒涛に含まれてたのかもしれない。

 

今月の私はというと、ES書いたり選考に参加したり説明会行ったりとわりとオーソドックスな日々を過ごしております。ただ、その中でもES落ちたところもあるし、受かったところある。

選考に進んだところもあれば、落ちたところもある。もちろん結果待ちなところもあるし、まだES出してないよってところもある。

まあ、至って「それなり」です。

 

ただ、やはり落ちる(お祈り)はキツイものがありますね。就活は正解がないってたくさんの人が言っていました。たとえ落ちたとしても「自分には縁がなかった」で済ませて次行けよ、とも言っていました。

 

でも最近、果たしてそれで済ませていいのかと疑問に思ってきたよね。まだ受けた数も少ないし、ES出した数も少ないけど、落ちる理由ってのは確かに存在するわけで。

自分を書類上でアピールできなかった理由はなんなんだろ、と最近それについて少しばかり頭を悩ませております。会いたいとも思われなかったその理由。とは。

 

ここで精神論的なうわべだけの「就活☆アドバイス」に縋ったところで、何も解決できないのは、22年の経験が物語ってるね。だてに大学受験で失敗してないんでね、こっちは。(自滅)

 

逃げちゃいけない。耳障りが良さそうな言葉だけを拾って思ってもないこと書くより言うより、多少ぶきっちょな言葉でも自分で考え抜いた言葉の方がいいはず。考えることを放棄して、ES例文集をいくつかコピペするような要領のいい方法は私には向いてないからね。

ド正攻法でいきましょう、オモテさん。

 

「逃げるが、負け。」

この1ヶ月で就活の全てを知った気になってる言い方をしていたら、ごめんなさい。でも、このたった1ヶ月で肌で感じたものも確かにあります。

 

凄い意識高そうなブログになっちゃった。ただの決意表明なので、あまり気にしないでね。

 

それではまた。

コラショへのすゝめ

お久しぶりですね。オモテです。

3月にもなると、暖かい日が増えて参りましたね。私は春生まれなので、一段と春のあたたかさが好きです。ジップロックに春の空気を保存しておきたいくらい好きです。

技術の進歩に期待ですね。

 

さて、春は冬の身悶えるような寒さと違い、あたたかさ・朗らかさがウリ(?)な訳ですが、一方であたたかいが故に…ということもあったりしますよね。

その代表例がコチラ。ズドン。

『朝起きれない問題』

 

冬の朝ですと、とんでもなく寒くて寒くて、自分の足なのか冷凍されたイカなのか分からないような錯覚に思わず目が覚めてしまうと思います。目覚めがものすんごく悪いですね。

かたや春の朝は終始ぬくぬくです。なんなら日差しもあったか〜〜です。(あと5分、あと5分…)と繰り返している間に、集合時間5分前絶望の起床を幾度なく経験している方ももしかしたらいるかもしれません。

 

これは致し方無いと思います。布団というのは、いわば人類が追い求めていたエデンなのです。布団に入ってぬくぬくとしている人が戦争を起こしますか?起こしませんね。そういうことです。

古来から、「布団は楽園」ということはコモンセンスであり、揺るぎない事実です。それも今更どうこう言うなんて虫の良すぎる話です。(もちろんベッド派の人も同様ですよ)

 

しかし、いくら布団が人類のエデンと言っても、私たち現代人はいつまでもエデンにいられるわけではありません。学校、仕事各々の役割を果たさなければなりません。それが、社会というものである以上、免れることができません。

では、どうするか。

再三お話している通り、布団(ベッドでも可)は、楽園です。その楽園を抜け出して現実の世界に飛び込むことは相当のエネルギーが必要です。朝からそのエネルギーが必要となると、現代人が疲弊してしまうのもよく分かります。

 

私の持論としては、そのエネルギーを誰かと分担すれば良いのではないかと思います。そうすれば、1人あたりのエネルギーが分散されて、最低限のエネルギーで布団から出ることができます。

問題は、誰とそのエネルギーを分担するか、です。ここからは思いつく限りの選択肢をあげていこうと思います。

 

①お母さん(家族全般)

王道ですね。お母さんに起こしてもらえれば、必ず起きることができます。しかし、考えてみてください。今話しているのはエネルギーの分担です。これでは、全てのエネルギーをお母さんに委ねてしまうことになります。

また、実家暮らしか一人暮らしかで差が生まれてしまいます。

 

②友達・近しい間柄

いわゆるモニコと言われるものですね。その日に初めて聞く声が、友達・もしくは近しい間柄(かなりぼかしていますが、要するに恋人ってことです)の声となると、その日一日のバイタリティが湧いてきそうです。しかし、毎日毎日モニコし合うというのは現実的ではありません。

 

はい、先ほど思いつく限りの選択肢をあげるとお話しましたが、私にはコレが限界です。他にももしあったら教えて欲しいですが、話の流れを考慮して頂けると幸いです。(圧力)

 

少し話は逸れますが、私が尊敬している先生はことあるごとにこう言います。「AとBで迷うなら、Cを探せ」と。

その先生の教えに則り、Cを探した結果以下の答えが導き出されました。

 

 

 

コラショがおるやん」

 

 

コラショって皆さんご存知ですか?大多数の人が聞き覚えあると思いますが、念のためお話しておきます。

コラショとは、進○ゼミで小学校低学年向けのキャラクターです。それまでしまじろう等のキャラクターに慣れ親しんでいた幼稚園児たちは、小学校入学を機に彼らに別れを告げます。そして、コラショと時を歩むことになるのです。進○ゼミは、勉強だけでなく「一期一会」を幼少期の頃から学ばせてくれるんですね。すごいや。

 

そして、小学校入学パックの中に、コラショの目覚まし時計がついてきた方が多いかと思います。私の時は、コラショが青い時計と肩を組んで仲良しアピールしているデザインでした。 

どうやらデザインは毎年違うようです。

 

さて、そのコラショ目覚まし時計ですが、他の市販で売られている目覚まし時計と一体何が違うのでしょうか。

答えは、『あいさつをしてくれる』『褒めてくれる』ことです。

 

一般的な目覚まし時計、もしくは携帯のアラームを思い出してみてください。一般的なジリリリリという音に始まって、多種多様な効果音があります。しかし、その一方で『あいさつをしてくれる』『褒めてくれる』を充たすものはどれくらいあるでしょうか?

私個人の意見を言わせてもらうと、正直言って未だそのような目覚まし時計に出合ったことはありません。

 

しかし、コラショはどうでしょうか。

まず、コラショは時間がくると以下のセリフから始まります。

「おはよ〜〜朝だよ〜〜起きて起きて」

これがボタンを押すまだエンドレスで流れます。

気づいた方もいるでしょう。そうです、コラショはまず何が何でも最初に「おはよう」と言ってくれます。雨の日も風の日もコラショの第一声は「おはよう」です。気持ちのいい朝を始めるには、やはり「おはよう」の挨拶が必要不可欠だと思います。

 

更に続けて、今度はボタンを押した後の話です。おはようと挨拶され、おはようをいう代わりにストップボタンを押します。

すると、

「起きたね、えらいね。」とコラショは言ってくれます。おはようの挨拶に留まらず、コラショは起きたことを褒めてくれます。本来、起こしてくれてえらいね、朝からありがとうね。というのはこちら側のはずなのに、です。

 

コラショは時間になると私に挨拶をし、私はそれで目覚めてストップボタンを押す。コラショは起きた私を褒め、私は颯爽と顔を洗いに行く。この一連の流れは、ゴール前でアシストされ、完璧なフォームでボールを蹴り、ゴールネットを揺らしている情景を彷彿とさせます。

 

そうです、私は小学1年生の頃からずっと、コラショとエネルギーを分担していました。そして、幾度となく朝を迎え、布団から出ていたのです。その甲斐あって、私はこの人生で遅刻したことはほぼ無いです。早起きの秘訣は、早く寝ることでも睡眠環境を整えることでもありません。コラショ一択なのです。

 

「全ての起床はコラショに通ず。」

冗談ではなく、私は本気で思っています。

 

一家に一台と言わず、一人一台コラショをオススメします。無機質な効果音で無理やり起こされる日々とは、これでもうサヨナラです。

 

 

 

※散々コラショを宣伝しといてアレですが、コラショは非売品です。ご了承ください。

 

 

 

褒めること、喜ぶこと。

こんばんは、オモ川クリステルです。なんでもないです。

今日は「褒めること、喜ぶこと」をテーマに書いてみようと思います。

 

最近、『レッツ☆卒論5000字』というゼミの課題のフィードバックが返ってきました。フィードバックというのは、ゼミの先生がゼミ生の卒論5000字を読み、全員に対してコメントをするというものです。先生の方針によって、そのコメントは自分一人あてのコメントだけではなく、ゼミ生全員分あてのコメントが読めるようになっていました。

 

一度全てのコメントを読んで、再度自分あてのコメントを読んで思ったこと。

「私、褒められてる!!!!!!!!」です。

いやね、他の人も褒められてるんですよ。そして、私も褒められてるだけじゃなくて、課題ももちろんあって、というか課題の方が多いんですけどね。

でもね、やはり褒められてると嬉しいもんですね。

 

これが、適当に終わらせたレポートだったら、(チョロいなー)くらいにしか思わなかったかもしれない。まあ、先生に限って、そんなお粗末なモン褒めないとは思うけど。

 

しかし、レポートと卒論は訳が違いますね。ご存知の通り、レポートはある程度テーマが与えられております。一方で、卒論は自分でテーマを見つけないといけません。そこが卒論の面白いところであり、難しいところだと私は思います。卒論に関してまだペーペーだけど、それくらいは分かる。

 

学術論文なんて初めて執筆することになるので、【暗中模索】を地で行くようなもんでしたからね。テーマ選びなんて、自分がやりたいと思ったことの手がかりを見つけるまでに何ヶ月も要しました。テーマが決まってからも、本探しから始まって、選んだ本と格闘して(ハーヴェイに苦戦を強いられる)、唯一の救いは卒論中間発表でテーマを発表した時に面白そうってみんなが言ってくれたことですかね。

 

と、いうように、たった5000字されど5000字。5000字書くまでに自分なりにもがきにもがいていました。今まで書いてきたどのレポートなんかよりも、時間をかけて頭を使った5000字でした。

 

その5000字を褒めて頂いて、なんというか「嬉しい」気持ちと「まだやったるぞ」という気持ちが湧き湧きワッキーでした。(伝われ)

 

そこでね、思ったんです。最近、褒められて無かったなって。いやね、お世辞とか社交辞令ではそりゃ確かにありましたよ。

ただ、自分が本当に「これ出来上がったので見て下さい!!!自信なら少しだけあります!!!」レベルのものを褒められることって無かったなぁって。

 

そう考えると、小さい頃って褒められまくりでしたよね。1単語話すだけで歓声、歩き出すだけで歓声、自分一人でモノ食べられるようになっただけで歓声ですからね。

今、これら3つを同時にしたところで、「落ち着いて食べなさい。」と言われるのが関の山です。

 

うーん、そうか。なかなか褒められない世の中だということは分かった。でも、褒められる回数は少なくても、褒められる質は小さい頃より今の方が格段に上がってるのではないだろうか。

 

そう。小さい頃に褒められたのは、いわば「ヒトレベルに着実に近づいてるね、良かったね。」ということを褒められているんだよね。

でも、今は違う。今は、「お、人間感でてきたやん」ということを褒められている。気がする。

 

ヒトと人間。同じように見えて、違うような気がするのは私だけだろうか。

ヒトというのは、シマウマとかゴリラとかと一緒で、動物の種類。人間というのは、そういった動物の種類の中で収まる概念ではなくて、理性的であり哲学的であり論理的であり学際的であり…というような感じ。

 

まあ何を言いたいのかというと、上記のように褒められる質が小さい頃と今では断然に違うということ。そりゃ、必然的に回数は減りますわな。だって、そんなに人間感たくさん出てきたら、受け止める方も大変だもの。

 

次に考えないといけないことは、褒められた後の反応ね。これがまた厄介です。歳を重ねるに連れて、私たちはたとえ褒められても深読みし始めます。(どうせみんなにも同じこと言ってるんだ)(利用するために褒めてるだけなんでしょ、知ってる)(むしろ褒めないでくれ)などなど。

 

ただね、私は思うんですよ。褒めることが大事なら喜ぶこともまた大事なんじゃないか、って。確かに、世間では社交辞令もあります。褒めちぎって褒めちぎって利用しようとする輩もいます。でも、見知った相手から、「自分がやったぞ!!!」というものを褒めてもらえるなら、もうそれは素直に喜んでいいのではないかな、と。

 

その喜びが、後々の原動力にも繋がったりすると思うのでね。私なんて今、卒論への原動力ハンパないからね。就活に意識いきがちだったけど、卒論もしっかり向き合わないとな、ということを褒められて再確認しました。あー単純でよかった。単細胞万歳。

 

ただ、褒めてくれる相手は必ずその道のエキスパートでないとダメだとも思っています。褒められることと馴れ合いは違いますからね。

馴れ合ったり、卑屈になったりすることなく、褒められたら素直に喜ぶ。そして、褒められた自分を越えられるように、向上心を持つ。

 

それができれば、より更に人間感増し増しになると思いますね。

 

 

よーし、人間感出していくぞ〜

 

早く人間になりたァい。