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コラショへのすゝめ

お久しぶりですね。オモテです。

3月にもなると、暖かい日が増えて参りましたね。私は春生まれなので、一段と春のあたたかさが好きです。ジップロックに春の空気を保存しておきたいくらい好きです。

技術の進歩に期待ですね。

 

さて、春は冬の身悶えるような寒さと違い、あたたかさ・朗らかさがウリ(?)な訳ですが、一方であたたかいが故に…ということもあったりしますよね。

その代表例がコチラ。ズドン。

『朝起きれない問題』

 

冬の朝ですと、とんでもなく寒くて寒くて、自分の足なのか冷凍されたイカなのか分からないような錯覚に思わず目が覚めてしまうと思います。目覚めがものすんごく悪いですね。

かたや春の朝は終始ぬくぬくです。なんなら日差しもあったか〜〜です。(あと5分、あと5分…)と繰り返している間に、集合時間5分前絶望の起床を幾度なく経験している方ももしかしたらいるかもしれません。

 

これは致し方無いと思います。布団というのは、いわば人類が追い求めていたエデンなのです。布団に入ってぬくぬくとしている人が戦争を起こしますか?起こしませんね。そういうことです。

古来から、「布団は楽園」ということはコモンセンスであり、揺るぎない事実です。それも今更どうこう言うなんて虫の良すぎる話です。(もちろんベッド派の人も同様ですよ)

 

しかし、いくら布団が人類のエデンと言っても、私たち現代人はいつまでもエデンにいられるわけではありません。学校、仕事各々の役割を果たさなければなりません。それが、社会というものである以上、免れることができません。

では、どうするか。

再三お話している通り、布団(ベッドでも可)は、楽園です。その楽園を抜け出して現実の世界に飛び込むことは相当のエネルギーが必要です。朝からそのエネルギーが必要となると、現代人が疲弊してしまうのもよく分かります。

 

私の持論としては、そのエネルギーを誰かと分担すれば良いのではないかと思います。そうすれば、1人あたりのエネルギーが分散されて、最低限のエネルギーで布団から出ることができます。

問題は、誰とそのエネルギーを分担するか、です。ここからは思いつく限りの選択肢をあげていこうと思います。

 

①お母さん(家族全般)

王道ですね。お母さんに起こしてもらえれば、必ず起きることができます。しかし、考えてみてください。今話しているのはエネルギーの分担です。これでは、全てのエネルギーをお母さんに委ねてしまうことになります。

また、実家暮らしか一人暮らしかで差が生まれてしまいます。

 

②友達・近しい間柄

いわゆるモニコと言われるものですね。その日に初めて聞く声が、友達・もしくは近しい間柄(かなりぼかしていますが、要するに恋人ってことです)の声となると、その日一日のバイタリティが湧いてきそうです。しかし、毎日毎日モニコし合うというのは現実的ではありません。

 

はい、先ほど思いつく限りの選択肢をあげるとお話しましたが、私にはコレが限界です。他にももしあったら教えて欲しいですが、話の流れを考慮して頂けると幸いです。(圧力)

 

少し話は逸れますが、私が尊敬している先生はことあるごとにこう言います。「AとBで迷うなら、Cを探せ」と。

その先生の教えに則り、Cを探した結果以下の答えが導き出されました。

 

 

 

コラショがおるやん」

 

 

コラショって皆さんご存知ですか?大多数の人が聞き覚えあると思いますが、念のためお話しておきます。

コラショとは、進○ゼミで小学校低学年向けのキャラクターです。それまでしまじろう等のキャラクターに慣れ親しんでいた幼稚園児たちは、小学校入学を機に彼らに別れを告げます。そして、コラショと時を歩むことになるのです。進○ゼミは、勉強だけでなく「一期一会」を幼少期の頃から学ばせてくれるんですね。すごいや。

 

そして、小学校入学パックの中に、コラショの目覚まし時計がついてきた方が多いかと思います。私の時は、コラショが青い時計と肩を組んで仲良しアピールしているデザインでした。 

どうやらデザインは毎年違うようです。

 

さて、そのコラショ目覚まし時計ですが、他の市販で売られている目覚まし時計と一体何が違うのでしょうか。

答えは、『あいさつをしてくれる』『褒めてくれる』ことです。

 

一般的な目覚まし時計、もしくは携帯のアラームを思い出してみてください。一般的なジリリリリという音に始まって、多種多様な効果音があります。しかし、その一方で『あいさつをしてくれる』『褒めてくれる』を充たすものはどれくらいあるでしょうか?

私個人の意見を言わせてもらうと、正直言って未だそのような目覚まし時計に出合ったことはありません。

 

しかし、コラショはどうでしょうか。

まず、コラショは時間がくると以下のセリフから始まります。

「おはよ〜〜朝だよ〜〜起きて起きて」

これがボタンを押すまだエンドレスで流れます。

気づいた方もいるでしょう。そうです、コラショはまず何が何でも最初に「おはよう」と言ってくれます。雨の日も風の日もコラショの第一声は「おはよう」です。気持ちのいい朝を始めるには、やはり「おはよう」の挨拶が必要不可欠だと思います。

 

更に続けて、今度はボタンを押した後の話です。おはようと挨拶され、おはようをいう代わりにストップボタンを押します。

すると、

「起きたね、えらいね。」とコラショは言ってくれます。おはようの挨拶に留まらず、コラショは起きたことを褒めてくれます。本来、起こしてくれてえらいね、朝からありがとうね。というのはこちら側のはずなのに、です。

 

コラショは時間になると私に挨拶をし、私はそれで目覚めてストップボタンを押す。コラショは起きた私を褒め、私は颯爽と顔を洗いに行く。この一連の流れは、ゴール前でアシストされ、完璧なフォームでボールを蹴り、ゴールネットを揺らしている情景を彷彿とさせます。

 

そうです、私は小学1年生の頃からずっと、コラショとエネルギーを分担していました。そして、幾度となく朝を迎え、布団から出ていたのです。その甲斐あって、私はこの人生で遅刻したことはほぼ無いです。早起きの秘訣は、早く寝ることでも睡眠環境を整えることでもありません。コラショ一択なのです。

 

「全ての起床はコラショに通ず。」

冗談ではなく、私は本気で思っています。

 

一家に一台と言わず、一人一台コラショをオススメします。無機質な効果音で無理やり起こされる日々とは、これでもうサヨナラです。

 

 

 

※散々コラショを宣伝しといてアレですが、コラショは非売品です。ご了承ください。

 

 

 

褒めること、喜ぶこと。

こんばんは、オモ川クリステルです。なんでもないです。

今日は「褒めること、喜ぶこと」をテーマに書いてみようと思います。

 

最近、『レッツ☆卒論5000字』というゼミの課題のフィードバックが返ってきました。フィードバックというのは、ゼミの先生がゼミ生の卒論5000字を読み、全員に対してコメントをするというものです。先生の方針によって、そのコメントは自分一人あてのコメントだけではなく、ゼミ生全員分あてのコメントが読めるようになっていました。

 

一度全てのコメントを読んで、再度自分あてのコメントを読んで思ったこと。

「私、褒められてる!!!!!!!!」です。

いやね、他の人も褒められてるんですよ。そして、私も褒められてるだけじゃなくて、課題ももちろんあって、というか課題の方が多いんですけどね。

でもね、やはり褒められてると嬉しいもんですね。

 

これが、適当に終わらせたレポートだったら、(チョロいなー)くらいにしか思わなかったかもしれない。まあ、先生に限って、そんなお粗末なモン褒めないとは思うけど。

 

しかし、レポートと卒論は訳が違いますね。ご存知の通り、レポートはある程度テーマが与えられております。一方で、卒論は自分でテーマを見つけないといけません。そこが卒論の面白いところであり、難しいところだと私は思います。卒論に関してまだペーペーだけど、それくらいは分かる。

 

学術論文なんて初めて執筆することになるので、【暗中模索】を地で行くようなもんでしたからね。テーマ選びなんて、自分がやりたいと思ったことの手がかりを見つけるまでに何ヶ月も要しました。テーマが決まってからも、本探しから始まって、選んだ本と格闘して(ハーヴェイに苦戦を強いられる)、唯一の救いは卒論中間発表でテーマを発表した時に面白そうってみんなが言ってくれたことですかね。

 

と、いうように、たった5000字されど5000字。5000字書くまでに自分なりにもがきにもがいていました。今まで書いてきたどのレポートなんかよりも、時間をかけて頭を使った5000字でした。

 

その5000字を褒めて頂いて、なんというか「嬉しい」気持ちと「まだやったるぞ」という気持ちが湧き湧きワッキーでした。(伝われ)

 

そこでね、思ったんです。最近、褒められて無かったなって。いやね、お世辞とか社交辞令ではそりゃ確かにありましたよ。

ただ、自分が本当に「これ出来上がったので見て下さい!!!自信なら少しだけあります!!!」レベルのものを褒められることって無かったなぁって。

 

そう考えると、小さい頃って褒められまくりでしたよね。1単語話すだけで歓声、歩き出すだけで歓声、自分一人でモノ食べられるようになっただけで歓声ですからね。

今、これら3つを同時にしたところで、「落ち着いて食べなさい。」と言われるのが関の山です。

 

うーん、そうか。なかなか褒められない世の中だということは分かった。でも、褒められる回数は少なくても、褒められる質は小さい頃より今の方が格段に上がってるのではないだろうか。

 

そう。小さい頃に褒められたのは、いわば「ヒトレベルに着実に近づいてるね、良かったね。」ということを褒められているんだよね。

でも、今は違う。今は、「お、人間感でてきたやん」ということを褒められている。気がする。

 

ヒトと人間。同じように見えて、違うような気がするのは私だけだろうか。

ヒトというのは、シマウマとかゴリラとかと一緒で、動物の種類。人間というのは、そういった動物の種類の中で収まる概念ではなくて、理性的であり哲学的であり論理的であり学際的であり…というような感じ。

 

まあ何を言いたいのかというと、上記のように褒められる質が小さい頃と今では断然に違うということ。そりゃ、必然的に回数は減りますわな。だって、そんなに人間感たくさん出てきたら、受け止める方も大変だもの。

 

次に考えないといけないことは、褒められた後の反応ね。これがまた厄介です。歳を重ねるに連れて、私たちはたとえ褒められても深読みし始めます。(どうせみんなにも同じこと言ってるんだ)(利用するために褒めてるだけなんでしょ、知ってる)(むしろ褒めないでくれ)などなど。

 

ただね、私は思うんですよ。褒めることが大事なら喜ぶこともまた大事なんじゃないか、って。確かに、世間では社交辞令もあります。褒めちぎって褒めちぎって利用しようとする輩もいます。でも、見知った相手から、「自分がやったぞ!!!」というものを褒めてもらえるなら、もうそれは素直に喜んでいいのではないかな、と。

 

その喜びが、後々の原動力にも繋がったりすると思うのでね。私なんて今、卒論への原動力ハンパないからね。就活に意識いきがちだったけど、卒論もしっかり向き合わないとな、ということを褒められて再確認しました。あー単純でよかった。単細胞万歳。

 

ただ、褒めてくれる相手は必ずその道のエキスパートでないとダメだとも思っています。褒められることと馴れ合いは違いますからね。

馴れ合ったり、卑屈になったりすることなく、褒められたら素直に喜ぶ。そして、褒められた自分を越えられるように、向上心を持つ。

 

それができれば、より更に人間感増し増しになると思いますね。

 

 

よーし、人間感出していくぞ〜

 

早く人間になりたァい。

よーい、スタート

AM 7:55

目覚ましより5分早く起きる。朝日が部屋全体に射し込むからだろうか。

あと5分寝れたのに、ととるかまだ5分も寝られるのかととるかで人生の幸福度数って変わってくると思う。同じ事が起こってるのに、物事の見方を変えると嬉しくなったり悲しくなったり楽しくなったり怒ったりするのは人間の性なのかもしれない。

私は断然、後者だ。

「あと5分、寝られるぞ」そう言って、新調した布団にくるまりながら5分間の旅に出る。

まあ、くだらないことを考えていたおかげで正確にはあと3分半なのだけれど。

 

AM 8:30

ある程度の身支度を整えたら、待ちに待った朝食の時間だ。一人暮らしをしたからといって、食に無頓着になるのはちゃんちゃらおかしい。

良く言えばグルメ、悪く言えば食い意地がはってるこの私は、一食一食がかけがえのない時間なのだ。

今日のご飯は、商店街のいい雰囲気なパン屋さんで買った食パンにツナと玉ねぎをマヨネーズで和えた、ツナトースト。それから玉子焼きに、栽培キットで育てているミニトマト、カボチャスープ、牛乳。〆はヨーグルト。うむ、完璧。

 

AM9:00

いよいよ、お家を出る。戸締りが気になって鍵を閉めたあとに、ドアノブを2,3回回すのは幼少期に母のことを見ていたからかもしれない。私の鍵閉めは、ドアノブを回すまでがセット。

 

AM9:20

デスクに行くまでに色んなおもちゃがディスプレイしてある。私は毎日それを見ながら出社する。いつか、ここにディスプレイされているおもちゃと肩を並べることができるくらいのおもちゃを作るぞ。と、気合を入れながら。

 

AM9:30

就業開始。今日は午後に地域の子どもたちがオフィスに来る予定だ。おもちゃ会社にとって、子どもたちは大事な大事なお客様。いっぱい遊んでもらって、いっぱい意見を聞こう。それまでにやることやらないと。

 

AM11:00

午後の打ち合わせ。今日は女の子向けのおもちゃの試作品を実際に遊んでもらう予定。私が新卒で配属された初めての部署が、このガールズトイを扱う部署。まだまだひよっこだけど、今日のお仕事はいつもより気合入れてやらないと。

 

PM0:30

お昼の時間。私はここでも気合をいれてお昼を選ぶ。午後はある意味体力使いそうだしね。

チーズインハンバーグ定食でご飯の種類は麦ご飯の中。ここで、大学生の時に『小豚汁(しょうとんじる)』を『小(こぶたじる)』と言ってしまったことを思い出して、一人にやける。そして、先輩社員の方に心配される。そりゃそうだ。

 

PM1:30

部署内での最終確認。どのおもちゃのどの部分を見て欲しいのか、どう遊び方を伝えてあげるのかなど念入りにチェック。入社以来初めてのことなので、少し緊張。

 

PM2:00

子どもたちがオフィスに。みんな目をキラキラにしておもちゃに夢中。社員も側から見てるだけじゃなくて、一緒に遊んで距離を縮めていかなくてはいけない。先輩社員はもう既に一緒に遊び始めている。ここは、おもちゃ売り場でアルバイトしていた経験を生かす時…!!

 

PM5:00

子どもたちとたっぷり遊んで、試作品のおもちゃのことをたくさん聞けて、とっても満足。

帰り際、ちょっと泣きそうになってる子もいたんだけど、「またあそぼうね。」って言ったら笑顔で頷いてくれた。おもちゃの会社に入って良かった、心からそう思えた。

 

PM6:00

午後の子どもたちと遊んだことを踏まえて作戦会議。ルールブックのこの表現を変えた方が良いとか、色はピンクもいいけどラベンダー色も人気だった、とか。大小様々な改善点が出てきた。やっぱり、いくら大人が良いって言っても、遊ぶのは子どもたちだもんね。子どもたちの意見をきちんと尊重するのが、この会社のいいところ。

 

PM7:30

今日の作戦会議をまとめて、明日の仕事内容を確認して退社。好きなものに囲まれて仕事するって、こんなに充実してるんだね。明日はお休みで嬉しいけど、仕事してる時間も好きだな。

 

PM8:00

あ、そういえば明日はお休みだから商店街にある銭湯に行ってゆっくりするつもりだったんだ。そこでご飯食べるのもありだな。そうしよう。

 

PM10:00

お風呂にも入ったしご飯も食べたし、あとは寝るだけって幸せですね。撮り溜めてたLIFE見ながらまったりしようかな。そして明日は母の日。茨城帰って、家族とご飯かな。あ、母の日のプレゼントまだ買ってないや。買ってから行こうっと。

 

PM0:30

おもエモンもたっぷり堪能したことだし、今日はもう寝ようかな。おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

*****

っていうね、【妄想】だよね。

完全に私の夢という夢が凝縮されたブログをお送りしているわけですが、え?そんなの見たくない?

そうでしょうそうでしょう。だってこれ、自己満以外の何物でもないんだから。(この記事に関わらず全部そうだけど)

まあ、引き寄せの法則とか言霊を信じている方なので、それを最大限に活かそうとした結果です。だから、社会人舐めんな!とか一人暮らし舐めんな!とかそういうクレームはぶつけないでね。怖いから。

 

あと、タイトルの「よーい、スタート」というのはここから妄想が始まりますよ〜っていう合図です。どうでもいいけど。

 

それでは、この辺で終わりますね。長々とすみませんでした。

 

お゛お゛ぉ゛ん!!!

み゛ぃ゛はおもちゃ業界いくんだに゛ゃ゛ゃ゛あ゛ん゛

 

私って、○○な人だから問題

最近よく、「私って○○な人だから〜」や「私たちは◇◇なんだよね」という言葉を耳にしませんか。(唐突に始まります)

たとえば、その筆頭に「私はサバサバ系女子だから〜」という言葉。あるあるですね。

 

でも私は一言言いたい。

 

「そんなこと知ったこっちゃねえんだよ。」と。

 

考えてみて欲しい。

自分で自分をカテゴライズするという言動は、「自分はこういう人間なんで、まあ大目にみてくださいよ、何かやらかしたとしても私だから仕方ないでしょ。」という免責に過ぎないのではないだろうか。

 

確かに、やれ個性だの自分らしさだのを求められている時代に、こういうカテゴライズは相手に「この人ってこういう人なんだ」という先入観を与えることもできる。きたる就職活動の面接でも自己PRは必ずといってもいい程、問われると思う。

 

ただ、就職活動の自己PRと、私って○○な人だから問題の間には、自分自身を上限におくのか下限におくのかという致命的な違いが存在する。

 

就職活動の自己PRは、就職活動ビギナーofビギナーの私でも分かる通り、「自分をよく見せる」ことを目的としている。「かめばかむほど味が出るスルメのような人間です」という某大手食品会社のCMは記憶に新しい。(スルメもまさか就活生に自分みたいって言われるとは思わなかっただろうな)

 

自己PRの場で、「私は人から助言されてもそれがうっとおしいと感じる人間です」とは口が避けても言わないというのは赤子の手をひねるより簡単に分かることだ。

 

では、私って○○な人だから問題はちがう。「私ってサバサバした人間だから」という自分のカテゴライズは、「多少暴言やら毒舌やら吐くと思うけど許してちょんまげ」のようなニュアンスが少なくとも含まれてるのではないだろうか。

 

「私はサバサバしている人間」という言葉をまるで、免罪符のようにして、他人に暴言やら毒舌やらを吐くのだ。逆に考えれば、「自分は他人のこと配慮できないんだわすまんな」ということ、つまり自分を自分から下限に設定して、許しを請うという行為に他ならないのではないだろうか。

 

誤解しないで頂きたいのは、自分を下限に設定して許しを請う行為と謙虚さは全く別物である。むしろ、対極に位置するものではないかとさえ思う。

 

謙虚さというのは、自分を下限に設定するところまでは一緒だが、じゃあそれを少しでも上限に持っていくにはどうすればいいか考えることだと思う。自分を下限に設定した後のプロセスが、前者と後者では全く異なるということを強調しておきたい。

 

「まあ、この人だから大目に見てやろう」というのは、自分から発信するものではなく、相手に認定されるものである。そこに至るまでには、その相手との信頼関係やその人特有の性格や愛嬌など様々な要因がある。そのいくつかの要因を満たせて初めて、「こいつだから仕方ないか」と思ってもらえるのだ。

 

スーパーのお惣菜の一つ一つによだれを垂らしている子供の親が、「子供のやったことですから」と言ったところで、何にも事態は解決しないのだ。その親子に待ってるのは、せいぜい世間からの冷たい目と弁償と入店拒否くらいだろう。

 

散々毒づかれ、傲慢な態度を取った挙句「私ってサバサバした人間だから」と言われたところで、こちらとしては(そんなもん知らんがな)くらいにしか思わない。こうして人はその人から離れていく。これはサバサバ系女子に限らず、自分を下限して許しを請う言動全てにあてはまると思う。

 

かくいう私も、人のふり見て我がふり直せとはよく言ったもので、自分がそうならないように気をつけなければならない。

 

 

だって私は、自分一人では気づけない人だから。

 

 

おあとがよろしいようで。

 

 

 

 

1年の計はなんとやら

お晩です。オモテです。

いやぁ、年が明けてから早5日。

あと360日したら2018年ですね。

早いですなぁ。気抜いてると、次の更新のタイトルが「あ、どうも2018年です」になりかねませんね。私ならあり得ないこともないから怖いわぁ。

 

そこで(?)、1日1日を無駄にしないように何かしら策を練りたいと考えました。目に見える形で尚且つズボラ県ズボラ市代表の私でもできること……うーん。

ブログ毎日更新?→ネタ切れ息切れ不可避

腹筋50回?→ズボラーには荷が重い

資格の勉強?→ズボラーには荷(以下同文)

しかもどれもこれもありきたりで、なんかこうオリジナリティに欠けるんですよね。仕方ないですね、自分らしさとか常に追い求めちゃう世代ですから。はいはい、個性個性。

そんな最中、Instagramを漁っていたらめちゃんこ良さそうなものを発見。(この時点でオリジナリティは死亡)

それはなんと、『365日貯金』でっす!!!イェイェーイ!!!ドンドンパフパフ

これは、1日目に1円、2日目に2円、3日目に3円…と1年間貯金していくというものです。

ザッツシンプル。ザッツライト。

しかし、ここでとある疑問が。

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そう。虫ケラ文系を地でいく私は、365日貯金をしたところで合計何円になるのか全く見当もつかなかったのであります。

地道に計算しようにも、根がズボラなので30日目を電卓に打ち込んだ時点でで飽きました。

答えが欲しい…だけど電卓は面倒…何か良い手はないかしらなるべく簡単な方法で………

 

藁にもすがる思いで、そのようなツイートをしたところ、「等差数列したらいいのでは?」というおリプを頂きました。おいいねして頂けただけでも小躍りモンだったのに…おリプまで頂けたて内心サンバですよ、サンバ。ブラジルの皆さん聴こえますか?

 

まあ、等差数列というワードを聞いたのがウン年ぶりだったので最初は脳みその処理に時間かかりました。ですが、腐っても大学生。やればできるもんですね。

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ほらぁ。ちょっと汚いけど計算しなれてないのモロ見えだけど消しゴム汚すぎて上手く消せてないけど、ほらぁ。できたできた。

というわけで、365日貯金をすると1年で66795円貯まるみたいですね。あくまで私の計算が正しければの話ですけど。

という訳で、2017年はこの365日貯金で66795円を貯めたいと思います。やるぞぉ。

 

このブログでもちょくちょく途中経過を晒して、モチベーションの維持を図ろうかと考えてます。お手柔らかにどうぞ。

ひとまず4日分なので、貯金箱に10円入っております。うーん、これが66795円のうちの10円。ほほーぉ。

 

楽しみです( ͡° ͜ʖ ͡°)

 

それでは文字数1000文字突破しだしたのでここらへんで失礼致します。もはや軽めのレポートですね。ブログってすごいや。

 

 

 

あ、どうも2017年です。

あけましておめでとうございます。

なんとまぁ、2017年ですね。早いものですね。

つい最近浪人から解放されて大学生になったと思ったら、もう大学4年生になるのかぁ。そっかぁ。へぇ。ふぅん。ほぉ。

 

あ、そうそう、私ブログ始めました。(今更)

2017年ブログはじめようかな〜っていうほざきが有言実行してしまいました。こういうくだらないところで有言実行したがる節ある。

きっとまた3日坊主もびっくりなくらいな筆不精なんでしょうけど、まあのんびりゆったりよろしくお願いしますってことで、おひとつ。

2017年は卒論AND就活っていう、大学生の集大成と自分のこれからを決める大事な年ですね。…という何万篇も使い古された表現だけで2017年を表すのはどこか2017年に失礼な気がするけども。まあ事実だから仕方ない。

メインディッシュは卒論と就活っていう、鮭のホイル焼きとハンバーグいっぺんに出てきたっていう感じの年になりそうですが。胃もたれしないように、付け合わせのほうれん草のおひたしやしじみのお味噌汁飲まないとですね。あとね、飲み物は玄米茶ね。ジャスミン茶でも可。

ということで、2017年はバランの良い食事を心がけたいと思います。異論は認めます。

2016年、私と関わることになってしまった全ての方へ。ありがとうございました。

2017年、私と関わることになるだろう全ての方へ。よろしくお願い致します。

良き1年になりますように。